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信長東美濃侵攻を追って

2021.07.14(水)

犬山城⇒伊木山⇒鵜沼城⇒猿喰城⇒堂洞城⇒加治田城⇒関城

2021/07/11

吉本ミニコミ8月号のテーマが信長の東美濃侵攻であるため、関連の城跡を巡る事にしました。

まずは犬山城を落とした後、木曽川を渡り対岸の伊木山へ砦を築いたと言う事で伊木山からスタートです。

伊木山(いぎやま)

鵜沼城跡側から見た、向かって左が犬山城、木曽川を挟んで右側に伊木山

犬山城を落城させて尾張を統一させたことがいかに美濃侵攻への近道かよくわかります。

伊木山は「伊木の森」として整備されています。駐車場が3ヶ所あり、どこからでも伊木山へ登る遊歩道の入口があります。

一番奥の公園駐車場からの遊歩道入口と説明版

こんな感じの道が続きます。

伊木山は標高173.1m、20分程で山頂に着きました。

山頂は木で覆われて下界を見渡すことは出来ません。

ここから左へ250mでキューピーの鼻へという標識、キューピーの鼻ってなんだ???

とりあえず行ってみよう!


伊木山山頂とキューピーの鼻へ向かう道

キューピーの鼻とは眺めの良いスポットでした。

キューピーの鼻:北側から眺めると、あたかも人が寝ているような形をしているように見えるらしい。東側が頭、西側が足、東側の小さな頂きを通称「キューピーの鼻」と呼ぶ。・・・ウィキペディアより

小さいですが向かって右手に尾張の犬山城、斜め奥左の小さい山が鵜沼城跡

信長はここから美濃鵜沼城に睨みを利かせ、あっけなく城を明け渡させてしまいます。

鵜沼城跡(宇留摩城)

山と言うより丘、こじんまりとした感じです。

私有地で入れないので犬山橋から撮影のみ

ここから次に落城した猿喰城へは坂祝町へ木曽川を川沿いに東へ

標高265mの山頂には展望台が見えます。夏で暑いので登山を躊躇、涼しくなったら登って様子をここにアップしようと思います。

今日はここまで

次回は引き続き堂洞城、加治田城、関城を巡ってここへ追記します。

2021/07/18

富加町郷土資料館

堂洞城趾の場所と登れるかをお尋ねしようと、まずは富加郷土資料館へ

正倉院に所蔵されていた現存する日本最古の戸籍「半布里戸籍」の半布里は現在の富加町に当たるとされていて、その解説や当時の様子などが再現されています。

また、織田信長の東美濃攻略についてのアニメ「夕雲の城」コーナーもあり、若い人達にもわかりやすく楽しく学べる資料館でした。

そこで堂洞城趾、加治田城への地図を頂き、堂洞城へ

山道は狭いけれど小さい車なら近くまで登れますよと言う事でした。

堂洞城趾

車よりは足に自信があるため?と言うよりは車で登る自信が無かったので歩こうと思い、夕田公民館に車を停めさせて頂き歩き始めました。

遊歩道入口の看板を見つけ⇒の方へ

向かって左は看板から行く方向を見た写真

山裾を右に折れていきます。そして山の中へ入ってしばらくすると左に折れる細い道が続いています。

そこで小さい虫がたくさん私の周りに集まってきて(多分すごく暑かったので汗まみれだったから)虫よけを携帯してなかったので敢え無くギブアップ!

次は車で加治田城方面へ

松井屋酒蔵資料館

貰った地図を見ると、加治田城近くに松井屋酒蔵資料館なるものが目に留まりました。加治田城の事もお聴き出来るかなと軽い気持ちで資料館へ。

ついでに資料館を見て行こうと思いましたが、ここはついでと言うのは失礼な程立派な資料館でびっくりしました。

江戸時代からの製法と道具を守り続けている日本でも貴重な酒蔵さんでした。

酒造りの道具はもちろん、蔵人さんたちの残していった生活用品など7000点以上が江戸時代からの建物にずらりと並んでいます。

私一人の見学の為に、当主さんがていねいに一つづつ説明してくださいました。

酒造りは150行程にも及ぶそうで、水、米、麹、それぞれ重くて、工程によっては寒い部屋と暑い部屋を行き来したりとはんぱではない労力が要ります。

昔ながらの製法を守り続けると言う事は並大抵の気持ちでは出来ません。

これからお酒を飲む時は、そんな事を考えながら大切に飲んでくださいね🍶

また、信長の東美濃攻略についてもとても造詣が深く、貴重なお話をたくさん聞かせていただくことができました。

加治田城

加治田城へ登れますかと聞いたら、猿などが出没するので一人では危ないと言われました。

ここも今回は入口までしか行けませんでした。

いつか数人連れで猿喰城趾、堂洞城趾、加治田城趾を制覇しようと思います。