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今年は養老では、養老改元1300年祭が盛大に行われました。
養老に残る、養老の滝の「孝子伝説」は有名ですが、瑞穂市の穂積にも養老の滝にまつわる伝説が残っています。 そこで今回は養老の滝と旧穂積町(現在瑞穂市)生津の滝坪について書いていきたいと思います。
(紙版ミニコミ番号:第66号/H24.7発行)
美濃国に貧しいきこりの若者が老父と住んでいました。毎日、山で薪を採り暮らしていました。
少ないお金の中から、毎日父の好きな酒を買い、腰に下げたひょうたんに入れて帰りました。
ある時、山奥で足を滑らせ落ちた所で酒の香のする水を見つけました。その水を飲ませると父は大喜び。若返ってとても元気になりました。
その話は都まで伝わり、時の女帝元正天皇は自から美濃へおいでになり、この水を飲浴されると、その肌はなめらかになり、体の痛みもとれました。
この「老いを養う」若返りの水はめでたいきざしであるとされ、天皇はここを「養老」と名付けて、元号も「養老」と改められました。
奈良時代第44代天皇(女帝)です。
717年、近江国(滋賀県)から美濃国多芸郡(養老郡)へ行幸され、その年に元号を「霊亀」から「養老」へと改められました。
※私たちの地域にある美江寺観音も元正天皇勅願により開設されたそうですから、この時代、美濃が朝廷にとって重要な土地であり、強いつながりがあったことがうかがえます。
そして穂積には養老の滝にまつわる言い伝えが残っています。
(『ほづみのむかしばなし』より)
昔、上生津村滝坪というところに「超誓寺(ちょうせいじ)」というお寺がありました。※現在は移転しています。
そこには古くから一本の柳があり、木の又のところからふしぎな水が泉のようにわいて、「滝」と言われていました。
この水は大変おいしく、体の痛みがとれ、元気いっぱいになると言われ、都にまでそのうわさは届きました。
村人はその柳で「不動明王(ふどうみょうおう)」という仏様を二体彫り、毎日手を合わせていました。
ある日、なまけ者のおばあさんが川に洗たくをしに行こうとした途中、滝のそばを通りかかり、「誰も見ていない、川まで行くのは面倒だ」と、この滝でふんどしを洗ってしまいました。
それを見ていた不動明王は怒ってこの水を止めてしまわれました。その水は「養老」に移りそこでこんこんと湧き出るようになり、不動明王も一体がそこへ移り今も水を見守っていらっしゃいます。
※不動明王とは人の心にある悪や欲を剣で断ち切り、縄をつけてでも正しい道へ導いてくださる仏様
水が酒の味だったり、滝が移動したり、あり得ないと一笑に付すのは簡単ですが、言い伝えには何か意味があると思われます。
①おいしい水があった事実。
②元正天皇の話は『続日本記』に史実として記載されている。
③生津には実際「滝坪」という地名がある。
④養老神社縁起によると養老の滝を見守っておられる不動明王は本巣の生津にあったものだと記されている。
これらの事と当時の時代背景を考えあわせて、なぜこのような伝説が生まれたのか、また生津と養老のつながりを探ってみると面白いとおもいます。