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織田信長美濃攻略の大きな力となった西美濃三人衆は、その後、信長の元で多くの戦いに参戦しました。
信長の家臣となった時稲葉一鉄はすでに50歳すぎ(他二人の誕生年不詳だが、氏家卜全は一鉄の3歳程年上、安藤守就は一鉄の10歳程年上といわれる)以降15年以上にわたり数々の選考を挙げています。
一鉄は勇猛果敢で信長をも恐れず進言するため、信長の逆鱗にふれたか、または信長がある者のざん言を信じたか、信長が一鉄を茶席に招き暗殺しようとした。一鉄は茶室の掛け軸を解読しながら、信長への忠誠心を語った。
信長はその教養に驚き、一鉄をより信頼したと言われます。
※讒言=他人を陥れるため、事実を曲げて目上の人に告げ口をする事。
この逸話は厚生の創作とも言われますが、文武両道の知将一鉄を良く表しています。
天正3年
信長、義父へ帰る途中、曽根城に寄る。一鉄は喜び孫たちに能をさせて信長をもてなした。信長は褒美に腰に差していた刀を与えた。
天正4年
信長に名物のまくわうりを献上して令状を送られた。
天正10年
呂久の渡しで信長を迎えお酒でもてなした。
この後1か月余りで本能寺の変が起こります。