歴史

西美濃三人衆

2023.03.04(土)

西美濃三人衆の参加した主な戦い

織田信長美濃攻略の大きな力となった西美濃三人衆は、その後、信長の元で多くの戦いに参戦しました。

信長の家臣となった時稲葉一鉄はすでに50歳すぎ(他二人の誕生年不詳だが、氏家卜全は一鉄の3歳程年上、安藤守就は一鉄の10歳程年上といわれる)以降15年以上にわたり数々の選考を挙げています。

一鉄暗殺計画(天正2年?)

一鉄は勇猛果敢で信長をも恐れず進言するため、信長の逆鱗にふれたか、または信長がある者のざん言を信じたか、信長が一鉄を茶席に招き暗殺しようとした。一鉄は茶室の掛け軸を解読しながら、信長への忠誠心を語った。

信長はその教養に驚き、一鉄をより信頼したと言われます。

※讒言=他人を陥れるため、事実を曲げて目上の人に告げ口をする事。

この逸話は厚生の創作とも言われますが、文武両道の知将一鉄を良く表しています。

信長と一鉄の交流

天正3年

信長、義父へ帰る途中、曽根城に寄る。一鉄は喜び孫たちに能をさせて信長をもてなした。信長は褒美に腰に差していた刀を与えた。

天正4年

信長に名物のまくわうりを献上して令状を送られた。

天正10年

呂久の渡しで信長を迎えお酒でもてなした。

この後1か月余りで本能寺の変が起こります。