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1525年 頼武が居城とする。


その後、頼純・頼芸と土岐市の居城となる。


巨石を使った城門であったことが、発掘調査からわかった。


「番所跡」見張りのために設置された場所


「堅堀」斜面に平行に掘られた堀・「横堀 」斜面に直角に掘られた堀


「曲輪」城内の一区画・「臺所」だいどころ


標高408mの古城山の山頂に築かれた山城で現在はミニチュアのお城が建てられています。


大桑城からの眺め
1509年 政房が革手城から移った。
1525年 頼武が頼芸との戦いに敗れここから大桑城へ退いた。
1532年 頼芸がここを守護所とする。
1535年 長良川大洪水により流失。
頼芸はこの後稲葉山城麓へ移ったとも、大桑城へ移ったとも伝えられる。


※道三の国盗りについては年代等様々な説があります。今回は『斎藤氏四代』『斎藤道三と義龍・龍興』を主として参考としています。