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1歳年上の女房は金の草鞋をはいてでも探せ
金の草鞋で訪ねる
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ことわざの中に出てくる金の草鞋、きんのわら じではなく、かねのわらじと読みます。
意味は何かを求めてさがし歩く事だそうです。
今回は、十返舎一九の金草鞋について・・・。
「方言修行金草鞋」(1813~1834)
十返舎一九作
十返舎一九のベストセラー「東海道中膝栗毛」「続膝栗毛」に次ぐ 旅のシリーズ「方言修行金草鞋」(むだしゅぎょうかねのわらじ)は あまり知られてはいませんが、一九の旅の足取りが良くわかります。
読んで面白い「滑稽本」の性格を持つ膝栗毛に対して、同じ旅物語ではありますが、金草鞋は地名、名所古跡、名物を記し紀行文的な要素を持ちます。
金草鞋の主人公は、鼻毛延高とちくら坊の2人。(鼻毛のびたか なんとふざけた名前かと思ってしまいますね。)
全24編のうち、第5編が木曽路の巻です。
この中から赤坂宿、美江寺宿、河渡宿、加納宿あたりを見てみたいと思います。
|| || | 左は赤坂、右は大垣道なり。 |
|| || || | ここを過ぎて青野ヶ原、熊坂長範物見の松の跡あり。 |
赤坂宿 || || | 昼井村、青墓を過ぎて赤坂宿に着く。 |
|| || || || | 赤坂を過ぎて、青木村、左の方大垣の城を見る杭瀬川、呂久の渡し過ぎて、美江寺宿に着く。 |
|| || || || | 美江寺宿 ゑびやという家から、美しき娘が出てきて、ここで宿をとってくださいと袖を引いた。 |
|| || || || | 美江寺宿を過ぎて、生津川、糸貫川を越し、ゆの木川を渡り河渡宿に至る。 |
河渡宿 | |
|| || | 河渡川の舟渡しを渡り、浜村の立場を過ぎ、加納宿に至る。 |
加納宿 | こめやという宿に泊まる。 |
このように見てくると、実際に一九が取材旅行をしながら書いている様子がよくわかります。村や川の名前などが正確に書き留められているようです。
旅人の多くは、赤坂宿、加納宿に宿泊することが多く、それに 比べて美江寺宿は宿泊は少なかったようです。ここでものびたかさん、ちくら坊さん、美江寺宿を通り過ぎて、加納宿で宿をとりました。
美江寺宿にはゑびやが、そして加納宿にはこめやという宿が実際にあったのでしょう。
吉田松陰が美江寺宿に泊まった記録があり、今後また詳しく調べてみたいと思います。
次回からは吉本ミニコミ新聞第63~65号(平成24.4~6)
伊能忠敬測量隊の中山道、この地域での測量の様子などについてのお話です。
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